icon tedukuri hajimeteno和綴じ本の種類・素材・歴史についてお話します。

日本の本(和本・わほん)

和本とは、和紙を和綴(わと)じにして作った本のことを総称で言います。和本は、色々な形状、仕立てのものがあり、代表的なものは四つ目(よつめ)とじ、折本(おりほん)列帖装(れつじょうそう)大和綴(やまととじ)巻物(まきもの)・巻子本(かんすぼん)、帳面としては大福帳(だいふくちょう)判取帳(はんとりちょう)などがあります。
本文の折りは基本袋とじといって二つ折りの山を小口側にした仕立て。紙の表しか見れない構造です。また、和本用の箱もあり、帙(ちつ)夫婦箱(めおとばこ)などに入れて保存します。

【和綴じの名称・部位と綴じ】

1.表紙
2.題簽(だいせん)表紙の題名を書く短冊上の紙
3.天
4.地
5.小口(こぐち)
6.背中
7.かがり糸
8.角(かどぎれ)
9.見返し
10.袋(袋とじ)
11.本文紙
12.四つ目とじ*糸が四本渡っているとじ(基本形)
13.康煕(こうき)とじ*康煕帝が推奨したとされるとじ。康煕字典もこの綴じでしあげてある
14.亀甲とじ*亀の甲らの模様をかたどったとじ
15.麻の葉とじ*麻の葉の模様をかたどったとじ

和紙

紙の技術の伝来は、推古天皇の18(610)年、高句麗の曇徴が技術をもたらし、聖徳太子らの手で改良され、和紙が作られる様になったと言われています。和紙は、楮(こうぞ)三椏(みつまた)雁皮(がんぴ)の靭皮(植物の外皮の下にある柔らかな内皮)繊維を中心に使われてきました。紙を漉き取る方法として、流し漉きを工夫したり、煮熟剤として木灰をつかい、抄造にねり(とろろあおい)を加える事を考案しました。
植物体の主成分のひとつリグニンは、親水性が低く、これが紙に残ると弱くし、酸化の原因になっています。和紙の原料はそのリグニンが元々少なく、それを除くために灰を使って緩やかに処理を行うため繊維を痛めず、重合度の高い紙を作ることが出来ます。靭皮繊維は、木材繊維に比べて繊維そのものが長く、処理もその繊維を痛めずに行う為紙の保存性は和紙が大変良いとされています。近年の和紙は外国産の素材のものや過剰に漂白されたパルプ等が入っていたり、煮熟やにじみ止め(サイジング)等の方法により、保存に弱い和紙も沢山出回っていますので、和紙であれば全て良質という訳ではありません。
*歴史について、諸説議論されています。あくまでも一つの解釈としてお読み下さい。

 

【日本の本の歴史】

日本最古は聖徳太子の直筆と言われる「法華義疏」(615年)。ここから日本の本は始まったと言われています。奈良時代、仏教の興隆に伴い写経が盛んに行われました。平安時代に入ると木版印刷が入るが、書写による本づくりも盛んに行われていました。源氏物語や枕草子等の作品も手書きで作られています。本文紙は金銀、様々な色や紙で装飾され、その上に文字を書き、神社に奉納された本は、装丁も当時の工芸技術をふんだんに使ったものが多く残っています。
「百万塔陀羅尼」(764-770年)から始まる日本の印刷文化は、木版からとなります。平安後期(約1100-1192)になると印刷技術も発達し、巻物から折り本や列帖装等と、新しい方式の製本方法が取り入れられました。貴族に独占されていた文学が、僧侶にも広まり、儒書、漢文、医学書など様々な翻訳が行われました。その頃、四つ目とじに見られる袋とじ本が普及したと言われています。その後、室町時代の応仁の乱(1467-1477)により貴族や僧侶が地方に分散、同時に文化が持ち込まれて行きました。絵入りの物語「お釈迦草子」が国民文学の先駆となり、一般大衆の中へ浸透して行きました。「一寸法師」「桃太郎」「カチカチ山」などは江戸時代に赤本(子供向けの本)が生まれ、今現在の童話の代表的なものとなっています。
また、琵琶法師から辻講釈へかわり、「太平記」を民衆に読み聞かせをし、書物が浸透して行ったと言われています。文禄の役(1592-1598年)により朝鮮から持ち込まれた活字版(銅活字板)の印刷方法が木版印刷から取って代わり、江戸文学、営利目的の書物の誕生へと発展していきました。日本に初めて西洋式製本が持ち込まれたのは、1590年にポルトガルの宣教師によるものですが、徳川幕府のキリシタン禁制により廃絶。この時はほとんど影響を与えませんでした。その後の江戸末期(1849年)オランダ政府から活版印刷機一式を贈られたもののほとんど使われず、明治の初め1869年、本木昌造らによる和文活字製作が成功してから一気に西洋印刷、西洋製本が普及していったとされています。
*歴史については、諸説議論されています。あくまでも一つの解釈としてお読み下さい。